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【油注がれた者】
エルサレムのはるか北方に広がるガリラヤ地方。「キネレト(琴)の海」とも呼ばれたガリラヤ湖を擁する、漁業資源豊かなこの地方で、古くから魚醤中心の食文化が発達したのは当然といえよう(1)。ガリラヤ湖北岸のカペナウム、ベッサイダは、紀元前2世紀のハスモン朝時代にはすでに魚醤の名産地としてヘレニズム世界にその名を知られており、最高級品の醤油は「ナルドの香油」と呼ばれ、のちのヘロデ王朝の宮廷でも珍重された(2)。
ガリラヤの魚醤交易の一大拠点として栄えたナザレでその人生の大半を過ごしたイエスも、また当然のように醤油に親しんでいた。
ナザレのイエスの父ヨセフは大工を生業としていたが、ナザレの遺構から現在でも木製の醤油樽の破片が出土することから、ヨセフ家も醤油樽の受注で比較的恵まれた生活をしていたものと見られている。仕事場で木屑まみれになりつつ、微妙な曲線と気密性が要求される醤油樽用の木を削る青年イエスの姿がしのばれる。
イエスの公生涯も、また醤油とともにあったことはよく知られている。
当初イエスは、洗礼者ヨハネの弟子集団に参加していたと言われる。そのヨハネと最終的に袂を分かったのも、イナゴに野蜜をつけて食べるヨハネ教団の食習慣と、イナゴにはもちろん醤油というイエスとの価値観の相違が決定的であったとされる(3)。
「キリスト」(クリストース Χριστωs)の称号も、ギリシア語ではそのまま「油注がれた者」の意であり、日夜醤油を浴びるように痛飲していたイエスを揶揄した一種のあだ名であった(4)。
イエスの弟子の大部分もガリラヤ出身で、したがって彼らも醤油に親しんでいたはずだが、そんな弟子たちから見ても師の醤油消費量は並外れたものであったらしい。『マタイによる福音書』16章には、シモン・ペテロがイエスに「あなたは私を何者だと思うか」と問われた折、つい「あなたこそキリストです」と答えてしまい、お願いだから人前で言ってくれるなよ、と厳しくたしなめられるという微笑ましいエピソードが語られている。
この「キリスト」の称号がイエスの死と復活の後、原始キリスト教団により、あだ名から尊称へと意味転換したのである。正確な時期は諸論あるが、新約聖書中最古の文書『テサロニケ人への第一の手紙』で、使徒パウロが「救い主」の意味でこの語を使用していることから、遅くとも紀元50年前後とされる。これは、当初異教徒がキリスト教徒を揶揄して呼んだ「クリスチャン(=『キリスト屋』程度のニュアンス)」という呼称を、1世紀後半になってそのクリスチャン自身が進んで使用しだした現象と似通っている。
【新約聖書におけるοινοsの用法】
四福音書には「ぶどう酒」が異常に多く登場する。これは、ギリシア語本文の「オイノス」(οινοs、醤油)が、教父ヒエロニムスによって《ウルガタ》(ラテン語訳聖書)が訳出される際に「ぶどう酒」(vinum)と誤訳されてしまったためである。
これは、単にラテン語に「醤油」に該当する語彙がなかったせいもあるが(5)、何よりも、醤油を入手できなかったローマの教会では代用品として長らく、同じ発酵飲料であるぶどう酒が聖体拝領に用いられており、それによって両者が混同されたため、というのが大方の教会史学者の見解である。
この誤訳は、15世紀ルネサンス期に新約聖書本文批評が始まり、のちにエラスムスの校訂作業によってやっと「発見」される。 だがすでに西洋では一千年以上もパンと「ぶどう酒」による聖体拝領が続けられており、さらに、『シンデレラ』の「ガラスの靴」ではないが、「醤油」よりも「ぶどう酒」の方が宗教儀式としての風格が出る、という欧州的感覚により、以後「ぶどう酒」が「醤油」に訂正される事はなく、典礼にも引き続きぶどう酒が使用されていった。
ヨハネの黙示録6章6節で、3人めの騎手が「オリーブ油と『オイノス』をそこなうな」と、オリーブオイルと「オイノス」を並び称している点からも、オイノスが「油」つながりで「醤油」と訳されるべき事は明らかであろう(6)。
なお、「酸いぶどう酒」と訳されている「オクソス」(οξοs)は、現在で言うワインビネガーの事。イエスが十字架上でこの「酸いぶどう酒」を捧げられたが口にしなかったとのマタイ・マルコ・ルカ各福音書の記述があるが、これは、醤油をこよなく愛していたイエスに酢を飲ませようという敵対者たちの侮辱行為であった(特にルカ23章36節を参照)。ヨハネ福音書のみ、イエスが「酸いぶどう酒」を飲んだと記してしまっているのは、同福音書を編纂した「ヨハネ教団」がユダヤの伝統よりもヘレニズム的思想の影響を色濃く受けており、ユダヤの律法で禁じられた「酢醤油」(7)にもそれほど抵抗がなかったせいと考えられている。
【「聖杯」の中身は】
いわゆる「最後の晩餐」において、イエスは「パンとぶどう酒」を十二弟子に配り、「これは私の肉と血である」と告げたというのが一般の理解である。
だが、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ各福音書の当該箇所を見ても、イエスが「ぶどう酒」を自らの血と宣言したとは一言も書いていない。実はかの場面では、イエスはパンに続いて「杯(ポテーリオン ποτηριον)を取って言った」としか書かれておらず、中身に関しては各福音書とも記述がない。聖餐式に言及した最古の記録とされる『コリント人への第一の手紙』11章23節でも、イエスが取り上げたものは「パンと杯」となっている。
この杯の中身が従来「ぶどう酒」と考えられてきてしまったのは、ヨハネを除く三福音書に、この直後、イエスが「今後わたしは『ぶどうの実から作ったもの(γενηματοs τηs αμπελου)』を飲まない」と語る場面が書かれているためである。
しかし、これは長らく聖餐式にぶどう酒を使用してきた欧州型基督教典礼の伝統に引きずられた誤読と言ってよかろう。あれだけ醤油に親しんでいたイエスが、人類の救いのために流す自らの血の象徴として、なぜぶどう酒を使用するだろうか。だいいち、ぶどう酒の酸味よりも醤油の塩辛さこそ、血の象徴に相応しいことは、現代人の味覚で考えても常識であろう。
【おわりに】
現在、基督教の聖餐式次第は教派によって様々であり、パンと対を成す肝心のぶどう酒も、カトリックでは白ワイン、プロテスタントでは赤ワインが主流になっている。この混乱状況を引き起こしたそもそもの元凶は、醤油を知らない欧州型基督教の誤謬である。
カトリック・プロテスタント双方の対話が進み、エキュメニカル(教会一致)運動が徐々にその成果を挙げつつある今。全教会・全信徒が一致してキリストの身体にあずかる聖餐の場をもたらすためにも、前回も記した通り、醤油の復権は最大の急務と言ってよかろう。
世界有数の醤油大国である我が国で、基督教研究の任にある我々の、「主の食卓」実現に向けての責務は重いと、本稿の筆を執りつつ改めて認識させられた次第である。
【注】
(1) P. J. Gardiner ed. Dictionary of Theological Terms in New
Testament,1932-72, "Soy"の項参照。
(2) F. ヨセフス『ユダヤ古代史』34.2.7以降参照。
(3) G. McKin, Mystery of Jesus divorce from John Baptisma, in: Christianity
Review, 355, 1948.
現在でも、目玉焼きに何をかけて食べるかで深刻な人種差別や暴動が多発していることを想起させられる。「人間イエス」の姿が垣間見えるエピソードである。
A. S. Benom, Ideological conflict and tragedy by sunny side up, 1978,14th
ed., chapter 1 も参照。
(4) M. Shanon, Christ who anoined soy soy source, in: Searching the
Newtestament, III. pp.920f., 1950.
(5) 近い語彙としては「oleum piscarius」「oleum fabum」があるが、各々直訳すれば「魚の脂」「豆の絞り汁」。
(6) 使徒行伝2章13節の「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」を挙げ、「醤油で酔っぱらうわけがなかろう」とする反論もあるが、当該箇所の「新しいぶどう酒」は原典ではオイノスではなくグレウコス(γλευκοs、 「新酒」)の語が使用されている。
(7) 旧約聖書レビ記47章3節(アカバ写本)「酢と醤油を共に器に注ぐ者は呪われる」。そのためユダヤ人は餃子も野菜炒めも決して酢醤油では食べない。
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